龍神楊貴妃伝

称徳天皇の崩御3(称徳天皇の死と藤原百川の暗躍)

●江戸時代の人が川柳に詠んだ「道鏡」

 「道鏡(どうきょう)は座ると膝(ひざ)が三つ出来」
 「道鏡に根まで入れろと詔(みことのり)」

 これは、江戸時代の川柳(せんりゅう)です。・・・先の句は、道鏡は、坐ると真ん中に、もう一つ膝(ひざ)があるように見えた・・・それだけ、男性器が 大きく、立派であったという意味です。そして、後の句は、 称徳天皇が、それを上回る好き者であったという意味です。

 今、「道鏡がどうの・・・称徳天皇がこうの・・・」と言っても「知らなぁい」「聞いた事ない!」と・・だいたいこういう反応が帰って来るのが関の山で す。テレビでも、戦国時代と明治維新の頃以外、ほとんど番組として見かけませんし・・・それは「仕方のない」と言えるかもしれません。おそらく、江戸時代 の人の方が、現代人よりも、はるかに詳しく古代の歴史を学び、そしていきいきと、時代の人物を生身の人間として想像し感じていたでしょう。

●「称徳天皇」の病いの原因に関するまつわるトンデモない話

 もちろん、これは面白半分の噂ですが・・・しかし、たぶん、それらの噂(うわさ)の元ともなった・・・ひょっとするとそれを超えるようなとんでもない話 が、「日本紀略」「水鏡」「古事談」に載(の)っています。その元になった文書は、先に書いたように「藤原百川伝」とされています・・・だいたい、大筋 (おおすじ)は似たような内容ですが、よく読むと少しずつ、本によって違っています。

 「日本紀略」と「水鏡」では、道鏡(どうきょう)が自分の張(は)り型を称徳天皇に与えた事になっています。「古事談」では、称徳天皇が道鏡の身体では 飽(あ)き足らなくなり、自分で芋(いも)を彫(ほ)って作ったと書かれています。
 いずれにせよ、それを使っている最中(さいちゅう)に、中で壊(こわ)れて抜(ぬ)けなくなったというのです。

 しかし、私には、「芋を彫って作った」というのは、信じ難(がた)く思います。この時代には、サツマイモもジャガイモもまだ、日本に、入ってきていませ ん、
 ということは、ここに書かれた芋(いも)とは、サトイモかヤマイモという事になります。・・・・しかし試してみればわかりますが・・(って試さないでく ださいね!!)サトイモとかヤマイモは、かぶれてとてもかゆくなります。

 とても、こんな物を使おうとは思わないでしょう。

●「称徳天皇」の治療の邪魔をした藤原百川

 「水鏡」には、そのとき、一人の尼がすすみでて、「やすやすと取り出してみせましょう。」というのを藤原百川(ふじわらのももかわ)が怒って追い出した と書かれています。「日本紀略(にほんきりゃく)」はもう少し詳しく、この尼は、「梓木(あずさぎ)で金筋(きんすじ)というものを作って、これに油を塗 り取り出せばすぐに良くなります。」と進言(しんげん)した事になっています。
 「古事談(こじだん)」では、この尼を小手尼(こでのあま)・・・すなわち、子どものように小さな手をした尼だとして・・・素手(すで)に油を塗って取 り出そうとした・・・とあります。

●「称徳天皇」を助けようとしていた吉備由利

 この尼(あま)を召(め)し出した人間は誰でしょう?・・・・続日本紀(しょくにほんぎ)には、称徳天皇の寝所(しんじょ)には、吉備由利(きびのゆ り)しか近づけなかったとあるのですから・・・・当然、これは、吉備由利でしょう。
 吉備由利は、おそらく、唐の国の後宮(こうきゅう)に伝わる技を使って、全力で、称徳天皇を助けようとしていたのでしょう。

 それを、百川は邪魔(じゃま)したわけです。

●「吉備由利」を怖れた「藤原百川」

 「古事談」では、百川は、「霊狐(れいこ)なり!」と言って抜刀(ばっとう)し、小手尼(こでのあま)を斬(き)りつけたと書かれています。
 百川は、誰に向かって「霊狐なり!」と言ったのでしょう?私は、これを小手尼に向かって投げつけられた言葉というより、その裏(うら)にいる吉備由利 (きびのゆり)に向かって放たれた言葉ではないかと想像します。

 吉備由利は、まちがいなく、現代風に言えば・・・美魔女(びまじょ)だったでしょう。しかし、由利よりも13歳も若い百川には、その色香(いろか)は通 用しなかったでしょう。
 百川は、それより、この若いのか年寄りなのかわからない・・・そして、常人(じょうじん)が及ばない知識と技能(ぎのう)を持ち、・・・そして奇妙(き みょう)な噂(うわさ)に包まれた・・・この年齢不詳(ねんれいふしょう)の美女を・・・・美しいがために余計(よけい)に不気味に思い・・・・おそらく は、自分の若さのために虚勢(きょせい)を張りながらも、内心、とても怖(おそ)れていたのではないでしょうか?

 すなわち、「日本紀略」「水鏡」「古事談」の記述に従えば・・・・称徳天皇は、必死の吉備由利の延命(えんめい)治療も空しく・・・道鏡と吉備真備一派 (いっぱ)を恨(うら)む藤原百川(ふじわらのももかわ)の暗躍(あんやく)によって落命(らくめい)した・・・・ということになります。

解明された世界を強震させる真実のミステリー

どうか貴方自身の眼で確かめてみてください!

龍神楊貴妃伝1「楊貴妃渡来は流言じゃすまない」


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