読者からの意見・感想など

  龍神楊貴妃伝は、なるべく、わかりやすく、かつ、正確に、理論的に説明し、推理することを心がけて作品を作っているつもりなのですが、なにし ろその根本が、「楊貴妃渡来」という眉ツバ扱いされる出来事ですし、作者の一人よがりになっていたり、とても理解出来難かったり、信じられないと感じられ る方が多いのではないかと思います。

 その点、皆様から、感想をいただけると、自分自身を見直す事が出来、かつ、他の読者の方への参考にもなってとても有り難いです!😇

 総合目次のページにフェイスブックで、意見や感想を書けるようにしてはあるのですが、メールと して直接ご連絡いただいたものもあります。
 これを掲載します。

●読者からの感想1


「はじめまして、鈴木紳示と申します。奈良時代のドタバ タ劇 に興味を持ち、いろんな本を読んできました。橘逸勢についてはあまりわからずにいたところ、ネットで貴方のサイトとFBにつながり、とても興味深く拝読し ました。奈良時代の後半でいくつか?がついていた歴史の謎がドミノ倒しのように瓦解する、まさにそんな感じでした。この時代の歴史を研究する上で、非常に 重要なカードであり、早く出版できることお祈りしています。私自身も改めて歴史の点検を始めてみたいと思います。」
「私は10年前にオリエンテーリング感覚で四国遍路を始めたのがきっかけで、空海や宗教、歴史についてかじり始めたら、興味のツボにはまったみたいです。 武士が登場する歴史には全く興味がなく、奈良後半から平安初期(空海が入定するまで)がとにかく面白いと感じてます。応援しています!宜しくお願いいたし ます。」
鈴木紳示さん 東京

 奈良時代の歴史は、ドラマなどでも取り上げてもらっていない事もあって、知識と興味を持っている方は少なく・・・そんな方に読んでいただけるのはありが たい話です。・・・・「歴史の謎がドミノ倒しのように瓦解する」・・・・作者自身が、これに驚いているのですが、こう言っていただけるのは、作者冥利につ きます!
 鈴木さん!本当に・・・本当にありがとうございます!

 鈴木さんから、栃木県にある下野薬師寺別院龍興寺の道鏡塚へ行ったと、写真を送っていただきました。地元では、「道鏡を守る会」という会があり、道鏡に 与えられた 汚名を晴らすための活動をされているそうです。
道鏡塚 道鏡塚 道鏡塚説明 道鏡塚説明 道鏡を守る会冊子 道鏡を守る会冊子
 道鏡は、地元ではとても愛されているのですね!
 「宇佐八幡神託事件」の後も、殺されたり、流罪にされる事無く、「本朝三戒壇」(正式に僧尼を認める戒律を授ける(授戒)ための場所・奈 良時代には、国内に三カ所しか設けられていなかった。) の造下野国の薬師寺別当となったわけですから、道鏡は、政界は追われましたが、引き続き高い要職にあったわけで・・・そういう事から考えても、地元の人々 は、道鏡を尊敬されるべき、立派な人物であったと考えて活動されているようです。

 私は、道鏡と称徳天皇は・・・やはり、男女ですから、恋愛感情はあったと思いますが、本編で書いたように、道鏡は、悪人であったとは思っていま せん。それに、密教は、男女の愛や欲望を肯定しています。道鏡と称徳天皇の関係は、けっして非難されるようなものではなかったでしょう。

 道鏡は、称徳天皇が、天皇位を授けても良いと考えるほど素敵な男性だったのでしょうね・・・そして、称徳天皇の意志には、それだけではなく、きっと、い ままでのしがらみ(特に・・・藤原氏との・・・)にとらわれない政治を行なえる 天皇(指導者)を擁立したいという気持ちもあったのではないかと思います。

 しかし、こうして、歴史をみつめなおす運動が行なわれているというのは、素晴らしいことですね・・・・😇
 道鏡が、現代は、江戸時代などに比べて、ずっと知られていなくなってしまったのは、残念な話ではありますが・・・😓

鈴木紳示さんから、龍神楊貴妃伝電子版を読んだレビューをいただきました。本当は、Amazonに書き込んでいただいたらしいのですが、無料版でダウンロードしていただいたら、書き込めなかったのだそうです。読んでいただいたのに書けないって・・・・変ですね・・・・😰

アマゾンの書籍レビューをアップしようと、下のように文章書いたのに、無料版だと投稿権限がないとのこと、残念です。でも認知と露出がますます高まってますね。応援してます♪
以下、感想文
長い歴史の中で、トップに君臨する権力にとって不都合な事実はゆがめられたり、なかったことにされたりしてきました(今の日本の政治にも残っています が・・・)。楊貴妃の最期についても、当時の唐と日本の間で、政治・外交課題にも影響するとてもナーバスな問題であったことから、真実を解明・伝承するこ となく蓋をしておいたまま時代が過ぎていったことと思います。1300年も前のことですが、「楊貴妃と吉備由利のDNA鑑定を行った結果、同一人物であ る」なんてことになっていたら、大騒ぎだったことでしょう。残念ながら今となっては真実にたどり着けないもどかしさが残ります。そういった中においても、 書籍や伝承等ご自身の足で情報をかき集めて、ジグソーパズルよろしく1枚づつピースをつなぎ合わせて、全体を明らかにしていこうとされる執念に敬服しま す。
私が本書にめぐり合う前に持っていた疑問は、1)当時まったくの底辺層にいた一私度僧の空海が土壇場で遣唐使にもぐりこんだのはなぜ? 2)遣唐使として 空海と橘逸勢が20年の約束で唐に渡ったにもかかわらず、わずか2年で戻ってこれたのはなぜ?、3)密教の正統を持ち帰った空海は大宰府に留め置かれたに もかかわらず、たいした成果を残さなかった橘逸勢がすぐにひょこひょこと都に戻ってきたのはなぜ?、など、空海を起点とした疑問を解消したいと本をあさっ ていたところ「龍神楊貴妃伝」に触れ、答えがここにあるではないかとびっくりしました。奈良時代の後半でいくつか?がついていた歴史の謎がドミノ倒しのよ うに瓦解する、まさにそんな感じでした。この時代の歴史を研究する上で、非常に重要なカードだと思います。
夢枕獏氏の「沙門空海 唐の国にて鬼と宴す」にて、空海と楊貴妃の接点が違う角度で描かれています。2018年には映画化もされるようです。空海と楊貴妃 の関係および、楊貴妃の最期などについて興味を持つ人が増えて、本テーマの研究が盛り上がって行けば良いなと感じています。

●読者からの感想2

 NEVERまとめで楊貴妃について、書いてある文章をみかけました。

 「楊貴妃はただ愛されただけ だった。しかし、歴史は変わった。」
 「楊貴妃が太っていたという のは嘘」
 「傾国の美女という汚名 を着せられた楊貴妃」

 読んでみると、歴史が好きで、知識もあり、同時に、私の「龍神楊貴妃伝」も読んでいただいているらしいと感じました。
 そこで、私の方から、連絡をとってみると返事がきました。
 
 プライベートな事も書いてありましたので、お返事のうち、「楊貴妃」関連部分のみ掲載します。


 お察しの通り「龍神楊貴妃伝」を夢中になって読んだこ とがあります。
 特に「楊貴妃が熊野に祀られている根拠」は凄く興味深く読みました。


 前置きが長くなりましたが、かくこく夫人を含めた姉との血縁関係については検証していないので、通説を受け止めているだけです。


 楊貴妃の容姿について少し掘り下げた理由は、アレクサンドロス大王を書いている時に、ヘレニズム文化の伝播を考えると、かなり広範囲に渡って女性美の基 準は変わっていないのではないかと思ったことが残っていたからです。

 実際に、中国が北方の脅威からのナショナリズムにより独自の感性を模索(僕はそう解釈してるのですが…栄養事情の方が大きいかな…)し、ふくよかな容姿 が好まれた時代よりも楊貴妃の時代が早いこと、確か太ってない説を言っていた人(蓑虫さんでしたね)もいたぞ、これは楊貴妃への興味の入口にしやすいかな という発想から、答えありきで書きました。

 先に、似たようなものをクレオパトラでも書いていたというのもあります。


 なので、通説の先を考えたのは容姿のみに等しく、楊貴妃以外についても通説の先は一つ二つといった感じです。広く浅くです。

 さらに冒頭の前置きの通り、キッカケ作りとして興味を引けば、初期の司馬遼太郎くらいフィクションもありという発想が根底にあったりします。
来栖崇良さん 東京

 上記サイトの内容は、「龍神楊貴妃伝」の「史歴の中の楊貴妃」と「楊 貴妃の容姿」にあたる部分をまとめたものですが、私の書いていない情報もあり、わかりやすい文章にまとまっています。(来栖崇良さんは、楊貴妃生存説を書 いているわけではないので、楊貴妃の馬嵬脱出のシーンはありませんが・・・・😁)
 それから、楊貴妃関連ではありませんが、来栖崇良さんは、社会問題に関心があり、特に、現代の若者のおかれている状況について、ブログの中で述べていま す。これは、他人からの受け売りではなく、自分の体験から、自分で観察し、自分の頭で考え、現代の若者が、どうしてこういう状況におかれているの か・・・・その理由や結論を導き出しています。
 その点でも、私は、とても好感をいだいています。

●読者からの感想3

ここで紹介するのは、「読者からの感想」・・・・というのは、少し違い、文芸社に原稿をおくり、出版の選考に落選した通知と共に送られて来た・・・・『作 品講評』なるものです。
落選した講評ですので、この「龍神楊貴妃伝」のどこがどんな風にダメなのか・・・・😰という事が書いてあるわけですが・・・・読んだ人が、どんな風に理 解して読んでいただいていたのかがわかる文章ですので、ここに全文を公表します。

*作品講評*

●本作は楊貴妃渡来説を打ち出した歴史論考である。楊貴妃といえば、唐代きっての絶世の美女とされ、その名は世界にとどろいている。その楊貴妃が日本に渡 来し、余生を過ごしたのではないか。その仮説にもとづき、実証を試みたのが本作である。したがって、実証を裏付けるためのさまざまな文献が渉猟され、読み 解かれており、その営為そのものに楊貴妃渡来説を全国に向けて流布したいと願う筆者の強烈な熱塊がうかがえる。よくぞここまでさまざまな資料を駆使し、楊 貴妃渡来説を打ち出したものである。そのオリジナリティに富んだ問題設定ともども、筆者でなければ書けなかった労作である。
●筆者の暮らすのは、龍神温泉の名で知られる和歌山県田辺市龍神村。筆者は当地の歴史を調べている過程で当地に楊貴妃にちなんだ桜が植えられていることを 知り、龍神村と楊貴妃のかかわりに興味を持ちはじめる。そして、「野馬臺詩」という謎の予言詩が存在することを知るが、中世に記されたとされる「野馬臺 詩」の予言性は否定しながらも、そこに隠された秘密があると考えているのは独創的である。筆者は『江談抄』のなかの記事を援用し、遣唐使として中国におも むいた吉備真備が皇帝の玄宗に謁見した折にその解読を命じられ、蜘蛛の助けで判読することが出来たという逸話を紹介している。そして、そこに記されている 文言には楊貴妃の渡来が暗示されていること、その渡来に大きな役割を果たした人物こそが吉備真備であったことに言及しているが、いわゆる安史の乱を契機と する混乱のなか、玄宗は国の乱れを誘発した楊貴妃を殺害することで事態の収拾に乗り出す。つまり、通説では楊貴妃は玄宗の命を受けた高力士によって殺害さ れているのである。しかし、筆者はその一方で、事態の収拾後、玄宗が楊貴妃の墓の改葬を命じた折、墓のなかには香を入れた袋しか残されていなかったという エピソードを紹介し、楊貴妃が実は死んでいなかった可能性も指摘している。こういった序盤の記述で読み手は早くも楊貴妃生存・渡来説が有力な仮説であり得 ることを認識させられるのである。
●その上で筆者は自説のさらなる補強をおこなっていく。筆者は中国から渡来したと伝わる玉藻前の狐(九尾の狐)のエピソードを紹介し、それが楊貴妃の渡来 を暗に説いたものであると推測している。そして、それを前提にして、狐と深いかかわりを持つとされる稲荷神の存在を指摘。その総本社のある伏見稲荷大社の すぐ近くには泉涌寺という皇室ゆかりの寺があること、そこには何と楊貴妃観音と呼ばれる観音菩薩像が安置されていることも突き止めている。玉藻前の狐から 稲荷神、そして、楊貴妃観音という流れはスリリングであり、楊貴妃が日本に渡来し、その名声が日本国内に定着していく過程を如実に跡づけているといえよ う。なかでも、驚くのは、そこに日本きっての高僧・弘法大師こと空海まで絡んでいることである。筆者は空海が見いだした高野山と楊貴妃隠棲の地とのかかわ りにも、触れているが、そこから派生して、院政期から鎌倉時代にかけてさかんだった熊野詣が楊貴妃ゆかりの地をめぐることを目的としていたのではないかと いう着想も本作の特徴の一つである。そういった流れのなかで龍神村周辺に楊貴妃が埋葬されているという指摘はユニークであり、現在、山口県の楊貴妃伝説の 地を相対化する力を持った主張であるといえよう。
●それとともに、楊貴妃が日本に渡来して以降の政治情勢も紹介されている。聖武天皇が上皇となり、娘の孝謙天皇が即位するようになると、藤原仲麻呂の権勢 が強まる。仲麻呂は光明皇太后の力を背景に敵対勢力を次々に追い落としていくが、そのなかに楊貴妃を日本に渡来させた吉備真備もいた。橘奈良麻呂らが仲麻 呂の陰謀によって死に追いやられていくのに対して、真備は遣唐使として中国へ、あるいは大宰府へと追われるものの、唐代の混乱がかえって国際情勢に通じた 真備の復権をうながす。その一方、唐の様式をならおうとした仲麻呂は敗死。歴史のアイロニーを感じさせる展開であるが、こういった時代情勢も楊貴妃の渡来 と深い関わりを持っているという設定は、楊貴妃渡来を探求した本作ならではであるといえた。
●このようにきわめて貴重な内容であり、筆者ならではの見識が横溢した一作である。楊貴妃が日本に渡来したという仮説を提唱した希有の論考であるだけに、 世に問うてみる価値はあると言える。この機会に本作の書籍化を考えてみてはいかがであろうか。ただ分量が多いこともあり、一冊の書籍としてまとめるために は、これまで以上に焦点を絞ってまとめる必要がある。その場合、楊貴妃渡来説を本作のメインテーマとしてすえ、奈良時代から平安時代初期の政治情勢につい て記した後半部分は思い切って割愛していくと、これまで以上に楊貴妃渡来説に焦点が当たり、筆者のもっとも訴えたい部分が読み手にはっきりと伝わるはずで ある。楊貴妃渡来説のもう一つの有力な地とされる山口県の楊貴妃伝説と比較する箇所も設け、楊貴妃熊野隠棲説との違いを際立たせるのも一計である。ともあ れ、今後は編集者のアドバイスにもとづいて改良し、筆者の見識を全国に向けて発信していただきたいものである。
出版社に送られて来た原稿は、出版社の方が、いちいち読んでいられないので・・・・・まず、読む事を専門の仕事とする出版社と契約している「下読みさん」 と呼ばれるパートの方に渡されるのが常だそうです。
出版社の社員は、その「下読みさん」から送られて来た情報をもとに出版すべき作品かどうかの審査をするわけです。
おそらく、この講評なるものは、その審査をする基準となる文章として「下読みさん」の書いたものでしょう。
この作品講評を送っていただいた担当の文芸社の社員の方は、電話口で話される声からも、お名前からしても、若い女性の方なのですが、この講評は、文の書き 方・・・使っている用語から考えても、年配の男性の方で、この担当の方の文でないことは明白です。😔
この文が、文芸社から依頼を受けた「下読みさん」のものである事は、間違いないでしょう。

正直、この講評を読んで、私が文芸社なら、この講評された作品に興味を示すことはないでしょう。😓

作品の内容を熟知している筆者としては、まず、出だしの「楊貴妃が日本に渡来し、余生を過ごしたのではないか。その仮説にもとづき、実証を試みたのが本作 である。」と書かれている時点で「えっ!そうなの?」と違和感を覚えます。😨

読み手の方は、ずっと、そういう風に思っていらっしゃるらしく、最後の方でも、「楊貴妃熊野隠棲説」などと書かれていらっしゃいます。

この「龍神楊貴妃伝」をずっと読んでいただいた方には言わずもがなですが、私は、楊貴妃が、ずっと熊野に引っ込んでいたなんていう事を書いていません。
私は、楊貴妃が、称徳天皇に仕え、吉備真備のサポートのもとに、日本の歴史を大転換させた事を書いています。
それを「余生を過ごした」とか「熊野隠棲説」と書くのは、正直、私に対しても、楊貴妃に対しても、「失礼な!」と思います。😡

私の書いていることを一番忠実に詳しくまとめてあるのは、2番目の●部分の、「野馬臺詩」と「楊貴妃の墓には香袋しかなかった」という部分ですが、私のか いた事をあらすじとしてまとめて書いていらっしゃるらしいのですが、正直、「楊貴妃の墓には香袋しかなかった」という部分だけが頭に入ってくるだけで、 あとの部分は、何を言いたいのか・・・支離滅裂で、さっぱり意味がとれません。

3番目の●部分では、九尾の狐伝説が伏見稲荷と結びつき、その伏見稲荷の近くに楊貴妃観音のある泉涌寺があるという問題定義がスリリングだと書いていま す。しかし、正直、そんな事を言われても、ちっともスリリングだとは感じられません。😥
だいたい、「龍神村周辺に楊貴妃が埋葬されている」なんて話・・・・・筆者である自分が覚えていないんですが・・・・どこに書きましたっけ?😓

私の明らかにしているのは、楊貴妃が「キツネ」と呼ばれていたという事で・・・・・キツネが祀られている稲荷山から木を切り出し、東寺をつくっ た・・・その木を運んだ道路の道沿いに、楊貴妃観音のある泉涌寺が建てられているという事実です。・・・・・そして、その稲荷灌頂を行い、東寺を建設した のが空海だったという事です。・・・・・これなら、ちょっとは、スリリングだと思いますが、正直、この講評の文面からは、泉涌寺に楊貴妃観音があるのだと いう程度の情報しか伝わりません。
そんなことは、「楊貴妃の墓には香袋しかなかった」という事も含めて、従来からある渡辺龍策氏の「楊貴妃後伝」や加藤�氏の「楊貴妃漂着伝説の謎」にも書 いてある事で・・・・私の書いていることは、従来のそういった作品と変わらない・・・超えていないと評価しているようなものだと感じます。😰
そして、だからこそ、「山口県の楊貴妃伝説の地を相対化する、力を持った主張であるといえよう」とか最後の方ですが・・・・「楊貴妃渡来説のもう一つの有 力な地とされる山口県の楊貴妃伝説と比較する箇所も設け」などと書かれているのでしょう。

こんなことを言っては、正直、山口の楊貴妃伝説を信じている方には失礼ですが、私は、山口の楊貴妃伝説は「荒唐無稽」としか感じません。この山口の楊貴妃 伝説と同じレベルだと感じられたのであれば、私の「龍神楊貴妃伝」も荒唐無稽だと判断されたのだなあと思う次第です。😭

4番目の●以降の部分は、私の推理の重大な結論である・・・・楊貴妃が吉備真備の妹である「吉備由利」になったという事を欠いています。そこにこそ、私の 話の真髄があるはずです。奈良時代の歴史に少し詳しい人なら、誰でも知っているような事を並べたてて、なぜ、それで講評とするんだ?と言いたいです。

想像するに、この論評を書かれた方は、渡辺龍策氏の「楊貴妃後伝」や加藤�氏の「楊貴妃漂着伝説の謎」を読んだことがあり、私も、同じような事を書いてい るのだと信じていらっしゃるようです。あるいは、初めの方だけ、読んで、後は、目次だけ見て、だいたいこんな事を書いているんだろうと、内容を想像して、 講評を書いているのではないかという疑いがしてなりません。

なんだか、私の書いている文章が長過ぎて・・・・・「他の原稿も読んで講評を書かなくてはいけないのに・・・・・つきうあっていられないよ」という心の声 が聞こえてきそうです。😁

しかし・・・・・それにしても、私の龍神楊貴妃伝は、読む人に、読む力が必要なんだなあと感じさせる講評でした。
文芸社も、読む力が必要だと思って、おそらく、奈良時代と楊貴妃渡来説に詳しい・・・この評者に、「下読み」を依頼したのでしょう。しかし、こ の評者は、頭の中にあらかじめ刷り込まれた知識があるだけに、頭が硬化していて、書いている内容がさっぱりとれなかったのだな・・・・・失礼ですが、そう 感じさせる文章でした。

●読者からの感想4

匿名希望のAさんという女性の方から、「龍神楊貴妃伝2 これこそまさに楊貴妃後伝」電子版の感想を送ってきていただきました。

最初に龍神楊貴妃伝2を読ませていただき、びっくりしましたのが「安禄山と楊貴妃は赤ちゃんプレイをしていた」という所です。
 実は私は「赤ちゃんプレイのママ」をしています。今は個人的に赤ちゃんのママをしているので風俗店とかではないのですが、私の友達に「楊貴妃 は赤ちゃんプレイのママをやっていたんだって!」と言いましたら「Aさんには、そのデータが残っているのではないかしら?」と言われました。楊貴妃が 日本で生存していた、山口県に楊貴妃のお墓もある、ということは以前に聞いたことありました。でも、其処には「命からがら逃げてきて身体が弱って直ぐに亡 くなった」というようなことも書いてあったような覚えがありました。
龍神楊貴妃伝2の「赤ちゃんプレイ」から急に楊貴妃とお近づきになれた気がして、ずっとずっと、その事が書いてある書とか、YouTubeの動画とかを探していました。それで
私なりに楊貴妃はどういう方だったのか?ということを私に中で想像してみました。楊貴妃は頭がよい女性でどんな男性に対しても癒してあげることが出来るん じゃなかったのかな、だから、玄宗皇帝は音楽が好きということなら、一緒に音楽を興じることが出来、安禄山はM男さん的な性癖がある、ということなら皆の 前で辱しめを受けさせ、その後ご褒美でオムツを当ててあげる、とか。。楊貴妃自身は欲望とか無くても生まれ持った天性だったのかとも思います。それで安史 の乱で自分の立場が弱くなった時、死んだという事にして、上手く日本に来れたのかもしれません。日本での形跡はまた続いて「龍神楊貴妃伝1」を読んでみた いと思います。「龍神温泉」も行ってみたいと思いました。

龍神楊貴妃伝2から先に読んでいただいて・・・・しかも、史歴の上での楊貴妃の記録である・・・安禄山への赤ちゃんプレイに反応していただくというのは、作者としては、想定外の感想でした😅
しかし、女性の眼線からの・・・・私自身の頭では想像出来なかった楊貴妃の姿は、とても、新鮮で、刺激的でした。Aさん・・・本当にありがとうございます。

●読者からの感想5

平成の承禎さんという方の書いた「龍神楊貴妃伝1 楊貴妃渡来は流言じゃすまない」の感想がサイトにありました。
「龍神楊貴妃伝 楊貴妃渡来は流言ではすまない」感想
唐の時代に、有名であった道士に「司馬承禎」という方が見えるのですが、この感想の筆者は、自分が平成の承禎だと名乗り、自分の所蔵する骨董の印を、「寶」と名付け、玄宗皇帝の作らせた世界に誇る宝だと世間に認めさせようとしている人物です。
★★★龍神楊貴妃伝 楊貴妃渡来は流言ではすまない 蓑虫
この著者も変人である
楊貴妃が日本に来たことを真実として、究明している
著者は、高野山熊野の伝説と楊貴妃を結び付けている
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
承禎は長崎に字地名に「楊貴妃」がある天草か、山口県長門市かどちらかの方が、可能性が高いと考えている
承禎には何とも言えない
ただ3ケ所とも可能性はゼロでは無い
なぜなら、神器「寶」は玄宗皇帝の宦官、高力士が楊貴妃に持たせた可能性があるからである
焼成不可能な神器・太極「寶」が日本に現存する
この「寶」を誰が日本にもたらした可能性を追求したら楊貴妃が濃厚である
承禎の推論の方が遥かにリアリティーである
欄外に承禎の推理を掲載しておこう。
読んでいて・著者蓑虫氏は、承禎より教養がある
承禎は中国語が読めない
致命的である
この本で、長恨歌をあらためて、読んだ
「寶」解明・執筆時、深く読んでいなかった
王敏女史に「寶」本をあらためて送るか、悩んでいるかやめておこう
王敏女史も楊貴妃が日本に来た可能性に言及している
うっかりしていた
そこまで推理を広げたら「寶」本は2年〜3年は遅れていただろう
いや経済的に無理であったろう
それに王敏女史が日本国籍を取っているのか分からない
帰化しているなら、送っても良いが、いずれ「寶」が世に出れば必然的に会う機会もあろう
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「寶」本は中国と日本文化の威信をかけた乾坤一擲の戦いである
なぜ30年以上費やしたかは誰も分からない
果てしない果てしない気の遠くなる戦いであった
もう少しである
平成29年8月12日

「承禎の推論の方が遥かにリアリティーである。欄外に承禎の推理を掲載しておこう。」とあるのですが、この欄外の承禎氏の推論は、見当たりませんでした。
代わりに、別のページですが、「楊貴妃のお寺と歴史の推理」と いう文がありました。内容は、サイトなどに書かれた天草や山口の楊貴妃伝説に、この承禎氏の「寶」の物語を組み合わせたものでした。もしこれが、承禎氏の 推論なのだとしたら、承禎氏は、どうやら「龍神楊貴妃伝2 これこそまさに楊貴妃後伝」は読まれていない様子です😬
もし、読まれたら、また、感想を教えていただきたいものです。そして、所有されている印「寶」が、本当に神器と認められると良いですね!😏

解明された世界を強震させる真実のミステリー

どうか貴方自身の眼で確かめてみてください!

龍神楊貴妃伝1「楊貴妃渡来は流言じゃすまない」


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龍神楊貴妃伝2「これこそまさに楊貴妃後伝」


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