龍神楊貴妃伝

安倍晴明は狐の子

 これから、私がする安倍晴明のお話ですが・・・これは、私が、ずいぶん昔に買っ た本『「安倍晴明」藤巻一保著 学研』を参考にしています・・・・この本は、安倍晴明の子孫である天社土御門(つちみかど)神道の古文書中から発見された 「安倍仲麿生死流傅輪廻物語(あべなかまろせいしるてんりんねものがたり)」をベースにして書かれ、その内容を紹介しています。
 本当は、おどろおどろしい安倍晴明の妖怪譚(ようかいたん)を期待して買った本でしたので、読んで、その時は、実は、少しがっかりだったのですが、この本を読んだおかげで、私の 頭の中には、安倍晴明の出生譚と前世譚が刻み込まれていました。楊貴妃渡来を考え始めた直後から、私の頭の中で、この伝説と楊貴妃が結びつき始めました。
 
 いったい、どのような伝説なのか・・・まず、晴明の出生譚から見て行きましょう。

●葛の葉伝説

葛の葉きつね童子にわかるるの図
月岡芳年「葛の葉きつね童子にわかるるの図」
ウィキペ ディア「葛の葉」より

 吉備真備から9代目の子孫で、陰陽師(おんみょうじ)の大家として知られた賀茂保憲(かものやすのり)という人が阿倍野の地に住んでいました。
 あるとき、この賀茂保憲のもとに、一人の青年が、入門したいと訪ねてきました。
 名前を安倍希名(あべのまれな)といいます。

 賀茂保憲は、安倍希名の器量に期待をかけ、娘である葛子(くずこ)に妻合(めあ)わせ、「保名(やすな)」の名前を与え、自分の後継者としました。

 賀茂保憲の信任を得た安倍保名は、これも信仰する信太明神(しのだみょうじん)のおかげ!と参詣に出かけ、その帰りに狐狩りに追われた白狐を助けます。

 それからしばらくした時の事でした。
 賀茂保憲は、ある貴族の恨みをかい、無実の罪をきせられ、相模の国へ流罪となりました。ただ、安倍保名だけが、吉備真備から賀茂氏に伝わる秘宝「簠簋内 伝金烏玉兎集(ほきないでんきんうぎょくとしゅう)」を守るため、なくなく阿倍野に残りました。

 そこへ、ひょっこりと、賀茂保憲と一緒に相模の国へ行ったはずの葛子が戻って来ました。
 聞けば、保名、恋しさに戻って来たのだといいます。

 安倍保名は、父である賀茂保憲を放っておいて帰って来た葛子を怒りましたが、一方で嬉しくもあり、そのまま、夫婦として暮らすことになりました。

 葛子は、 保名と神によく仕えました。ただ、ときどき、「簠簋内伝金烏玉兎集」の入ったお宮の錠をあけようとして、保名に怒られたといいます。

 やがて、2人の間には、男の子が生まれました。名を童子丸といいます。
 童子丸は、とても美しく賢い子でしたが、不思議な癖があったといいます。それは、クモやゲジゲジ、イナゴなどを見つけると、パリパリとむさぼり食う事で した。

 保名は、なぜ息子にこんな癖があるのだと嘆き・・・葛子が、泣いてそれを悲しむと、童子は、それ以降、ぴたりと悪食(あくじき)を止めたといいます。

 やがて、童子の悪食がおさまった頃、賀茂保憲が流刑を解かれて、戻って来ました。
 保名が、驚いた事には、保憲が葛子を連れて帰ってきたことです。

 そうすると、今、家にいる葛子は誰なのだ?! 

 偽の葛子の正体は、安倍保名に助けられた白狐でした。
 童子の悪食の癖も、キツネの血をひいていたからなのでした。

 葛子は、童子丸に自分の正体とこの家にやってきた目的を打ち明けます。
 その声を、ひそかに聞いていた保名は、たまらず、ふすまをあけて飛び込みますが、その時、白狐の葛子の姿は、すでになく・・・ただ、障子に
 「恋しくば尋(たず)ねても見よ和泉(いずみ)なる 信太(しのだ)のもりのうらみ葛(くず)の葉」と形見の歌が記されていたといいます。

 この童子丸が、成長し「安倍晴明(あべのせいめい)」と名乗ったと伝えられています。

解明された世界を強震させる真実のミステリー

どうか貴方自身の眼で確かめてみてください!

龍神楊貴妃伝1「楊貴妃渡来は流言じゃすまない」


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龍神楊貴妃伝2「これこそまさに楊貴妃後伝」


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