龍神楊貴妃伝

龍神村の安倍晴明伝説

 安倍晴明は、夢枕獏さんの小説「陰陽師」で、一躍有名になりましたが、龍神村に は 、昔から陰陽師「安倍晴明」の伝説が数多く残されています。
 殿原地区には清明神社があり、晴明の淵、晴明転がし、晴明腰掛け岩などの名前が残っていて、「龍蔵寺由来」に、「龍神村殿垣内和田谷に山本という寺屋敷 あり・・・安倍晴明三昧に伏す・・」と書かれているそうです。

 私の頭の中には、龍神村に楊貴妃が潜んでいたかもしれないと考えた始めた直後から、この安倍晴明が楊貴妃と関係しているのではないかという仮説が浮かん でいました。

 この私の仮説は、おいおい、語る事として、とりあえず、まず、龍神村史下巻第2章伝説「晴明の淵」を参考に、龍神村の安倍晴明伝説を紹介しましょう。

●安倍晴明と猫又滝の妖怪

猫又滝
妖怪を閉じ込めたという猫又滝
 1000年以上前の話です。そのころ、現在の笠塔山には妖怪が出没し、里人や通行人をたぶらかし、ときに危害を加えることさえありました。
 また山頂には幅4〜5尺(約1m)長さ50〜60間(約100m)の馬場があって、だれも乗らない白馬が駆けたり、夜間になると木偶茶屋と称する舞台を 作り人形芝居を催すなど、これらがすべて妖怪のしわざであったといいいます。

 晴明は、この話を聞くと山に登り祈祷三昧に伏しましたが、妖怪はたちまち大雨を降らしました。そこで、晴明は杖を柱に、笠を屋根としてお堂の代わりにし て妖怪降伏の護摩を焚きました。妖力と法力が戦って三日三晩、ついに晴明の法力が勝って、妖怪を猫又滝に閉じ込めてしまいました。
 
 晴明は滝の谷に梵字を刻み、この字が消えるまでは、一歩も滝壺から出る事は許されぬと宣言して山を下ったそうです。

 笠塔山の名前は、この故事から生まれ、山頂には、護摩跡や馬場跡があるとのことです。
 
 ちなみに、猫又滝という名前から、外部の方は、これに「化け猫」の妖怪を連想するようですが、猫又の滝は、猫でも跨げるほどの小さな滝という意味で、妖 怪の正体はわからないとの事です。

●安倍晴明と血を吸わないヒル

 笠塔山の妖怪を封じ込めて、麓の谷口の里で休息をとっていたとき、そこの庄司の新九郎という人が、晴明にお願いしました。

 「この付近はイノシシやシカに作物を荒らされたり、田地にはヒルが多く、里人は、ほとほと難渋しています。なんとかならないものでしょうか。」という と、晴明は「毎年霜月(旧暦11月)23日を私の忌と定め(筆者注・三体月が出ると 同じ日)もちを供えて祀りなさい。そうすれば、イノシシ、シカ、ヒルの被害を除いてあげよう。」といって晴明の姿は、谷口の里から忽然と消えたといいま す。その後、現在に至るまで谷口のヒルは人間に吸い付かないとのことです。また、別の説では、晴明がヒルの口をひねったのだとも言われています。

●晴明転がしと腰掛け岩

  安倍晴明は、それからしばらくして、今度は、恩行司に姿を現し、同地の一若という者の家に宿泊しました。一若は、晴明が大金を所持している のに気付き、これを奪おうとしました。
 ニワトリの足を温めるとニワトリが鳴くというので、一若は、深夜に止まり木を温めニワトリを鳴かせました。そして、晴明に夜の明た事を告げました。一若 は晴明と家を出て穂手の「まいまい崖」まで行くと、晴明を崖から眼下の川に突き落としました。
 「よっしゃ、これで大金は、俺のものだ!」と、一若は、足下に十分注意しながら、小道を下り川辺に降りました。
 すると、そこに、晴明が悠然と岩の上に座っていました。

 うろたえる一若を見ながら、晴明は声をかけてきました。
 「お前は、愚かにも、悪心を起こして、私を殺して大金を奪おうとしたのだな?そんなにも欲しければ、くれてやろう。」と、胴巻から財布を取り出すと、一 若に投げつけました。あわてて財布を拾った一若が晴明の方を見ると、晴明は指を食い切って、その流れた血漿で岩盤に呪文を書きつけていました。

 一若は後をも見ずに、家に逃げ帰り、財布を開いてみると、大金は全て木の葉になっていたそうです。
 その後、一若の一族は、ことごとく癩病にかかり死に絶えたということです。

 晴明が転ばされた地を、「晴明転がし」、座っていた岩を「腰掛け岩」、淵を「晴明淵」と地元の人は、呼んでいます。

※筆者の妄想的注釈
 このお話の主人公である一若ですが、私は「龍神温泉絵図の解析」でお話をした「若宮」 と同じ物ではないだろうかと想像します。「若宮」は、そこでお話したとおり、熊野三山で、「天照大神」と同一視されているのですが、この「若宮」を祀った 王子の名前が「若一王子」です。これを灌頂した東京の王子神社がキツネ伝説で有名な事は「熊 野三山のキツネ信仰」の中で述べました。
 それから、この晴明のお話では、一若が、ニワトリの足下を温めて早鳴きさせて、
晴明を予定時間よりもまだ暗いうちに出 立させ、途中で襲って殺すことになっていますが、これは、龍神温泉絵図の解析」で「若 宮」と関連してお話をした「比丘尼のたたり」の開柳の物語と同じパターンになっています。
 もともとが、楊貴妃と結びついた同じ類型の物語であったのではないでしょうか?


●晴明神社の由来

晴明神社
龍神村の安倍晴明の社
 それから何年か過ぎた頃、恩行司の川底で夜な夜な怪光を放つものがありました。里人が拾いあげてみると、それは、神秘の光を放つ玉石で ありました。人々はこれを晴明のご神体であると考え、谷口の里に祠を建て、「安倍晴明大明神」、又は、「晴明様」とあがめ、親しんでいるのだそうです。

 殿原字谷口1020番地の田17歩は、古くから晴明田とよんで、この田には、一杓の下肥も一握りの木灰も入れないようにして、カシキ(刈草)のみを肥料として晴明米を作っているとの事です。

 このように、龍神村には、多くの安倍晴明の伝説があり、どうやら、この平安時代のスーパーマンというべき、安倍晴明が龍神村を訪れた事は、間違いないようです。

 しかし、安倍晴明は、いったい何故・・・何の目的があって、この辺鄙な龍神村にやってきたのでしょうか?

 ひょっとすると、その目的が、楊貴妃にあるのではないか?

 私の龍神楊貴妃伝は、この仮説から始まったのです。

解明された世界を強震させる真実のミステリー

どうか貴方自身の眼で確かめてみてください!

龍神楊貴妃伝1「楊貴妃渡来は流言じゃすまない」


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