●「ヤウキヒ桜」は品種の楊貴妃桜か?
私が「ヤウキヒ桜」の事を言い出してから、まもなくして、龍神村の商工会女性部が、「楊貴妃桜を守ろう」という運動をしていただきました。しかし、それ
は、
いつのまにか・・・あれは、「ヤウキヒ桜」でない・・・「ヤウキヒ桜」は、明治時代の大火で焼けたのだ・・・という事になり、代わりに、品種の「楊貴妃
桜」が、新しい龍神村の名物にしようと温泉寺に植えられました。
サト桜の仲間の八重桜の品種に「楊貴妃桜」という品種があり、「ヤウキヒ桜」は、それだというのです。
この品種の「楊貴妃桜」は、2015年の3月に何者かによって、根元から斬られてしまいありません
でした。
騒動の中、言い出しっぺの私の意見は、いままで、誰にも聞いていただいていません。
この場を借りて、言いたい事を書きます。
まず、私の意見は、「ヤウキヒ桜」は、品種の「楊貴妃桜」ではないと思います。
絵図に描かれた「ヤウキヒ桜」は桜の大木です。しかし、品種の「楊貴妃桜」は、大きくなる種類ではありません。
普通、大きくなっても5mぐらいと言われています。(最大で10mぐらいです。)
それから、もし、龍神温泉に生えていたサクラが品種の「楊貴妃桜」であれば・・・何十年と生えていたはずですから、龍神村に、子孫の「楊貴妃桜」が広
がっているはずだと思います。けれども、近くにそれらしいサクラは見られません。
また、私が、最初に見つけた幕末の頃の「龍神温泉絵図」には「ヤウキヒ櫻」と書かれていますが、明治
時代のエッチングや「紀伊国名所図絵」などには、この桜は「やうき桜」と説明が書かれています。(龍神温泉絵図の解析で述べたように、明治時代のエッチン
グは、「紀伊国名所図絵」を模写した可能性があり、それが、明治時代のエッチングに「ヤウキ桜」と書かれている理由なのかもしれません。)
「楊貴氏墓誌の謎」で述べますが、私は、楊貴妃は日本に来た当初、楊貴氏を名乗っていたと考えています。おそらく、龍神村の「楊貴妃桜」も「楊貴桜(ヤ
ウキサクラ)」が、本当の呼び名で
しょう。
品種の「楊貴妃桜」を「楊貴桜」と呼んだという話は、聞きませんし・・・私は、この桜は、中辺路の「秀衡桜」のように「ヤウキ桜」という名を付けられた
桜であって・・・・品種の「楊貴妃桜」ではない・・・と考えます。
龍神温泉絵図のヤウキヒ桜
|
紀伊国名所図絵のやうき桜
|
明治のエッチングのヤウキ桜
|
●「オオシマザクラ」が「ヤウキヒ桜」と思われる理由
私には、やっぱり、私が、最初に、温泉寺で見たボロボロの桜が、「ヤウキヒ桜」だと思えます。
ただし、私は、この桜が、江戸時代の絵図に描かれている・・・そのままのサクラだとは思っていません。
だいたい、この桜が、私の思うように、「楊貴妃」を由来として名付けられた桜であるとしたら、楊貴妃の時代からは、もう1250年にもなるのですから、
その時のサクラが残っているわけもない・・・したがって、この桜は、何代も何代もにわたって更新してきたはずです。
ですから、江戸時代の桜が、そのまま、現代の「ヤウキヒ桜」である必要もありません・・・。
紀伊国名所絵図に描かれた「やうき桜」と幕末の龍神温泉絵図に描かれた「ヤウキヒ櫻」を比べると、名前だけでなく、形や生えている場所も若干違ってい
ます。
ひょっとすると・・・この絵の描かれた間に温泉場のルールが、混浴から男女別の浴場に代わっていますが、桜にも世代交代があったかもしれません。
さて、私が最初に「楊貴妃桜」だと言った温泉寺にあった桜は、品種からいうと「オオシマザクラ」だと推定されます。
龍神温泉のヤウキヒ桜
|
「オオシマザクラ」は、もともと、関東南部の伊豆大島で発生したものと言われています。
現在では、このオオシマザクラは、この紀伊半島でも野生化していて、龍神温泉周辺では、特に多く見られますが、これは、近年になってからのことです。
江戸時代には、この地域で、「オオシマザクラ」は、珍しいサクラであったでしょう。
森林インストラクターの仲間の植物に詳しい方が、(実は、私も森林インストラクターなのですが、さほど植物に自信はありません・・・笑)この龍神村のヤ
マザクラは、葉の出るのが遅く、少し奇妙だ・・・ひょっとすると、龍神村のヤマザクラには、オオシマザクラの遺伝子が入っているかもしれないという仮説を
述べてみえました。
もし、そうだとすれば、この龍神村には、古くから「オオシマザクラ」が持ち込まれていたという事になります。
このオオシマザクラは、葉をサクラモチに使いますが、クマリンという独特の香りを含んでいます。
サクラの花を嗅いでみるとわかりますが、普通のサクラは、あまり香りを感じませんが、このオオシマザクラは、特別に香りが強いのです。
楊貴妃も、甘い体臭がしたと言われています。オオシマザクラの香りこそが、「ヤウキヒ桜」の名前の由来ではないでしょうか。
●「ヤウキヒ桜」に対する想い
私は、「ヤウキヒ桜」は、「ヤウキ桜」と名付けられた「オオシマザクラ」である可能性が高いと思います。
「ヤウキヒ桜」が品種の「楊貴妃桜」であった可能性は、低いと思います。
ただし、品種の「楊貴妃桜」であった可能性を、完全には否定出来ません。
ですから・・・品種の「楊貴妃桜」を植える事が悪いとまでは言いませんが、もっと、元々生えている樹の方を大事にして欲しいと思います。
もし、樹が枯れてどうしようもなくなったとしても、その側に生えている「ヤウキヒ桜」の子孫を「ヤウキヒ桜」と名付けて育てていけばよいと思います。
その語り継いできた人の想いをそこに伝えていけば、いいのではないでしょうか?
力も、権利も持っていない・・・自分が言っても、説得力がなく・・・「蟷螂(とうろう)の斧」か
「ごまめの歯ぎしり」みたいなものですが・・・・どこにでもある新しい?・・・地域に住んでいる人にとっては新しいかもしれませんが、他所では珍しくな
い・・・ものを持っ
て来るのではなく・・・地域にあるもともとの自分たちの財産を捨ててしまわずに・・・大事にして育てていくべきではないでしょうか?
温泉寺にしても、元湯の浴場にしても、江戸時代からの絵図に残された何百年も伝えられてきた財産です。それを、このたかが近年の数十年の考えによっ
て・・・いらないもののようにて捨てさろうとしているのを、私はもったいないと思います。
(かといって・・・・せっかく、新しく育てようとしたものを無にするような・・・・そんな行為も、やっぱり、同じように、人の気持ちを大事にしない野蛮な
考えでしょう。・・・その点で、品種の楊貴妃桜を根元から切り倒すような
行為は、元の桜を大事にしないと同じように・・・残念な考えだと思います。)
私の「龍神楊貴妃伝説」の言い出した事が、結果として、想いと正反対の方向に進んでいっているのは残念でなりません・・・。
|