龍神楊貴妃伝

中国で伝えられる楊貴妃熊野渡来説

 4年前、中国の西安切り絵協会から、中日現代剪紙展(日中現代切り絵展)に招待 され、このとき、楊貴妃の墓を訪れる機会がありました。
 この楊貴妃の墓の前で、ガイドの方から、この墓は、衣冠冢(形見のものを埋めた墓)で・・・楊貴妃自体は、生きて日本(熊野)に渡ったのだと話を聞きま した。

 この時まで、楊貴妃が、日本・・・特に熊野に亡命したなどとという話は、聞いた事がありませんでしたし・・・・この時は、全く、お話を馬鹿にしていたの ですが・・・楊貴妃が日本に渡ったというお話は、中国で、広く知られているお話のようです。

中国楊貴妃本 楊貴妃が熊野に来た事を書いた中国の本
赤線部分に注目!
「剪紙図説 武則天 楊貴妃」
主編 孔正一「西安市小雁塔文物保管所所長」
作者 韓靖「西安剪紙会会長」

●山口百恵は楊貴妃の末裔!

 2002年には、中国中央テレビが、「山口百恵は楊貴妃の末裔だ」などと報じる番組も作りました。
中国中央テレビの映像
宣伝の後に映像が出て来ます。


 楊貴妃生存・・・そして、蓬莱(日本・熊野)に渡ったというお話は、中国では、とても古くから伝えられた・・・そして、根強い噂のようです。

●「長恨歌」に書かれた「楊貴妃は蓬莱で生きている」

 その疑いを示す・・・最も、有名なものは、楊貴妃の史暦上の死から、50年後に白居易(白楽天)によって玄宗皇帝と楊貴妃の愛の顛末が書かれた「長恨歌(ちょうごんか)」でしょう。

 「長恨歌」には、「馬嵬(ばかい)坡下(はか)泥土(でいど)中(のなか)、不見(ふけん)玉顏(ぎょくがん)空(むなしく)死處(しすところ)」とい う一節があります。
 この文は、馬嵬(ばかい)の泥土の中に、楊貴妃は埋まっていない・・・すなわち、楊貴妃は馬嵬で死んでいない・・・という意味にとれます。
 そして、読んでいただければ、感じられるでしょうが・・・「長恨歌」の中で、白居易が一番描きたかったところは、「長恨歌」の後半部の・・・方士が蓬莱 (ほうらい)宮に暮らす「楊貴妃」を訪ねるシーンにある事も間違いないでしょう。
 海上の仙人の暮らす山(蓬莱宮)にいる楊貴妃は、まるで、生きているように描かれています。これは、楊貴妃が、蓬莱=日本・熊野で暮らしているという事 を表しているのではないでしょうか?

 白居易は、自分で詩を作ると同時に、友人である陳鴻(ちんこう)に依頼し、小説「長恨歌伝」を作らせました。その末尾文に次のようにあります。
 「歌既(すで)に成り、鴻(こう)をして伝えしむるなり。世に聞こえざる所は、予(よ)、開元(かいげん)の遺民(いみん)に非ざれば、識ることを得 ず。世に知る所は、『玄宗本記(げんそうほんき)』の在る有り、今但(た)だ『長恨歌』を傅(つた)ふと云うのみ。」
 すなわち、この文で白居易は、「長恨歌」と「長恨歌伝」を「皇史」とは違う隠された歴史を伝えようとする意志の元に書いたと述べているわけです。


 この楊貴妃が、蓬莱に渡ったという話は、玄宗が生きていた頃には、活躍していた詩人の李益(りえき)(748〜827?)も、「南内真人悲帳殿,東溟方 士問蓬萊。」(南内(みなみうち)の真人(しんじん) 帳殿(ちょうでん)に悲しみ、東溟(とうめい)の方士 蓬莱(ほうらい)を問う。)と謳っていま す。

●詩聖「杜甫」も詠った楊貴妃生存説

 また、楊貴妃と同時代人である詩聖と呼ばれる杜甫(712〜770)は、安史の乱の最中に、「哀江頭」という詩を詠み・・・その中で「明眸皓齒今何在」 (明眸皓齒(めいぼうこうし)今何(いず)くにか在る)〔明眸皓齒=明るい瞳に、白い歯の人=すなわち、楊貴妃の事〕・・・と・・・「楊貴妃は、行方不明 になっているのだ」と、当時の人が考えていた事をうかがわせる文章を残しています。

解明された世界を強震させる真実のミステリー

どうか貴方自身の眼で確かめてみてください!

龍神楊貴妃伝1「楊貴妃渡来は流言じゃすまない」


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龍神楊貴妃伝2「これこそまさに楊貴妃後伝」


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