龍神楊貴妃伝

詩聖・杜甫が記録した楊貴妃

●楊貴妃と同時代人だった杜甫

 「国破れて山河あり」で有名な「春望」の作者、詩聖と讃えられた「杜甫(と ほ)」は、楊貴妃と同時 代の人物です。

 安史の乱の最中には、いったん、安禄山の軍に捕えられたのですが、杜甫の身分が低かったので、放り出され、その後は、市中をさまよっていたようです。

 杜甫が楊貴妃と合った事があるかどうかわかりませんが・・・少なくとも、杜甫の親友であり、ライバルでもあった李白(りはく)は、楊貴妃に直接会って、 楊貴妃の詩をよんだ事が伝わっています。
 おそらく、杜甫は、李白から、楊貴妃の事を聞いていて、関心を持っていたでしょう。
 

●楊貴妃に憧れ、心配していた杜甫

 楊貴妃の史歴上の死の翌年、至徳2年(757)には、楊貴妃の事を思い、こんな詩を詠んでいます。

少陵野老吞聲哭  少陵(しょうりょう)の野老聲(こえ)を吞んで哭(なき)す
春日潛行曲江曲  春日(しゅんじつ)潛行(せんぎょう)す曲江(きょくこう)の曲
江頭宮殿鎖千門  江頭の宮殿千門を鎖(とざ)す
細柳新蒲為誰  細柳新蒲(さいりゅうしんぽ)誰が為にか(みどり)なる


憶昔霓旌下南苑  憶(おぼ)ふ昔 霓旌(げいせい)南苑に下り
苑中萬物生顏色  苑中(えんちゅう)萬物顏色を生ぜしを
昭陽殿裡第一人  昭陽殿裡(しょうようでんり)第一の人
同輦隨君侍君側  輦(れん)を同じくし君に隨(したが)って君側に侍(じ)す
輦前才人帶弓箭  輦前(れんぜん)の才人弓箭(ゆみや)を帶び
白馬嚼嚙黃金勒  白馬嚼嚙(そしゃく)す黃金(こがね)の勒(くつわ)
翻身向天仰射雲  身を翻(ひるがえ)し天に向って仰いで雲を射れば
一笑正墜雙飛翼  一笑正に墜つ雙飛(そうひ)の翼


明眸皓齒今何在  明眸皓齒(めいぼうこうし)今何(いず)くにか在る
血污遊魂歸不得  血汚(よご)れて遊魂(ゆうこん)歸り得ず
清渭東流劍閣深  清渭(せいい)東流(とうりゅう)し劍閣(けんかく)深し
去住彼此無消息  去住(きょじゅう)彼此(ひし)消息無し
人生有情淚沾臆  人生有情(うじょう)淚臆(るいおく)を沾(から)す
江水江花豈終極  江水江花豈(あに)に終(おわり)に極(きわま)らんや
黃昏胡騎塵滿城  黃昏(れんこん)胡騎(こき)塵城(じんじょう)に滿(み)つ
欲往城南望城北  城南に往(い)かんと欲して城北を望む
意味
 「少陵(しょうりょう)の野老たる自分は咽(むせ)びそうな声を押し殺しながら、春の一日曲江のあたりをしのび歩く、川のほとりの宮殿は門を閉ざしたま ま、柳や蒲(がま)が芽吹いているのは、果たして誰のためだろうか。」
 「思い起こすに、かつては霓旌(げいせい)(天子の御旗)の一団が南苑に下り、苑中の万物が華やかに輝いたものだった。昭陽殿裡(しょうようでんり)第 一の人たる楊貴妃は、玄宗皇帝と同じ輦(れん)(天子の乗る車)に乗って付き従っていた。輦前(れんぜん)に控えた才人は腰に弓箭を帶び、白馬は黄金の轡 (くつわ)を嵌(は)めていた。才人の一人が身を翻(ひるがえ)し天に向かって矢を射ると、一対の翼が楊貴妃の笑顔の前に落ちてきたものだ。」
 「あの明眸皓齒(めいぼうこうし)(明るい瞳に白い歯)の人はいまどこにいるのだろうか、血は汚され魂は遊離したまま二度と戻らない。渭水(いすい)は 東へと流れ劍閣(けんかく)の谷は深く、去るものは茫々(ぼうぼう)として消息もない人生の転変のむなしさが涙を催(もよお)させる。江水江花は極まりが ないというのに、いま黄昏(たそがれ)の城内には胡騎(こき)(胡の軍隊)が塵(ちり)をあげてのし歩いている。自分は城南に行こうとして思わず行在所の ある北の方向を見てしまうのだ。」

 このように、杜甫は楊貴妃に憧れ、心配していました。どうも、杜甫は楊貴妃が好きだったようですね。やっぱり、楊貴妃は、皆から慕われていて、悪くは言 われていな かったのでしょうか?

●楊貴妃を褒姒・妲己の如き悪女だとよんだ杜甫

 しかし、その彼が、また、こんな詩も詠っています。

憶昨狼狽初  憶(おも)う昨(きのう)狼狽(ろうばい)の初め
事與古先別  事は古先(こせん)と別なり
奸臣竟菹醢  奸臣(かんしん) 竟(い)に菹醢(そかい)せられ
同惡隨蕩析  同惡(どうお)隨(ともな)って蕩析(とうせき)す
不聞夏殷衰  聞かず  夏殷(かいん)の衰えしとき
中自誅褒妲  中の自(みずか)ら褒妲(ほうだつ)を誅(ちゅう)せしを
周漢獲再興  周漢 再興するを獲(え)しは
宣光果明哲  宣光(せんこう)  果たして明哲(めいてつ)なればなり
桓桓陳將軍  桓桓(かんかん)たり陳将軍
仗鉞奮忠烈  鉞(えつ)に仗(よ)りて忠烈(ちゅうれつ)を奮(ふる)う
微爾人盡非  爾(それ)微(わず)かりせば人は尽(ことごと)く非ならん
於今國猶活  今に於(お)いて国は猶(な)お活(い)く

意味
 「昨年のことを思い出してみる。前年6月4日圧倒的に有利と見られていた王朝軍を率いる哥舒翰(かじょかん)が潼関でが大敗した。都において慌てふため いて出奔(しゅっぽん)の事変が起ったとき、朝廷でとられた御処置は昔の施策(しさく)とはちがっていた。
 我が朝では奸臣(かんしん)の代表する楊国忠(ようこくちゅう)は刑罰に処せられ、そのなかまの悪党らも追っ払い散らされてしまった。
 諸君は夏殷(かいん)の衰えたときのことを聞いたことはないか。宮廷の中で天子御自身が褒娰(ほうじ)・妲己(だっき)の悪女を誅(ちゅう)されたので ある。(楊貴妃は玄宗御自身が誅せられたということ。)
 そうして周の宣王(せんおう)と後漢の光武帝(こうぶてい)は皆が期待した通り、聡明(そうめい)で事理に明るい君主であったので周や後漢は再興するこ とができた。(新天子に即位した粛宗(しゅくそう)は明哲(めいてつ)であるので唐は再興していくのだ。)
 左竜武大将軍の陳将軍は、まことに桓々(かんかん)と勇武である。彼は天子から授けられた鉞(えい)(まさかり)をつかって忠義な功(いさお)しをふる われたのである。
 あの時もし左竜武大将軍の陳将軍が居なかったならば唐の人民はみんな今見るような安泰(あんたい)をえることはできなかったであろう。あなたのおかげで 今も我が唐の国はいきることができるのである。」
参考 漢文委員会 紀頌之の漢詩 杜甫詩1000http: //blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/archives/67316617.html

 この詩では、今度は、楊貴妃を、褒姒や妲己と同一だと言っています。杜甫の心中は複雑ですね。
 しかし、ともかく、この詩から、 当時、 楊貴妃が、世間で、褒姒や妲己と同じように言われていた事が読み取れます。


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