龍神楊貴妃伝

称徳天皇と吉備由利1(重祚した高野天皇と由利の友情)

●称徳天皇は、どんな女性であったか?

 私は、むろん、称徳(しょうとく)(高野)天皇に会った事もなければ、見た事もありません。ですから、どんな女性だったかは、推測(すいそく)するしかありません。

 しかし、記録(きろく)された宣命体(せんみょうたい)(天皇の言葉)を見るかぎり、称徳(高野)天皇は、強烈(きょうれつ)な意志を持った・・・・高慢(こうまん)ちきで・・高飛車(たかびしゃ)で、誇(ほこ)り高く、自我(じが)の強い女性だったと感じられます。
 その性格は、おそらく、女性でありながら、国政のトップにたたざるなかった 称徳(高野)天皇の生き様(ざま)が関係していたでしょう。

 称徳(高野)天皇は、国政を執(と)る中で、常に、心の中に、不安と自信のなさを抱(かか)え、戦っていたに違いありません。しかし、それを表に出すわ けにはいきませんでした。トップに立つものとして、常に虚勢(きょせい)を張(は)って生きるしかありませんでした。だからこそ、本当は、きわめて女性的 な弱い面を持っていて、誰かに依存(いぞん)したがっていた・・・だから、自信がありそうな恵美押勝(えみのおしかつ)などに・・・・ころりとダマされる 事にもなったのでしょう。

●楊貴妃は、どんな女性であったか?

 楊貴妃(ようきひ)という女性はどうだったでしょうか?
 彼女も、最高権力の中枢(ちゅうすう)にいました。いや、その権力は、称徳(しょうとく)(高野)天皇さえも比べ物にならないほど大きかった。けれど、楊貴妃という女性は、その権力に対するプレシャーも、執着(しゅうちゃく)も感じていなかったと思います。

 楊貴妃は、称徳(高野)天皇とは違って、生まれながらに、その権力を受け継ぐべき立場に生まれたのではありません。「吉備由利の昇殿」 でも少し述べましたが、彼女は孤児でありました。叔父である玄璬に、美しさを見込まれて拾われ、一族の繁栄の為に育てられ、命じられるまま、宮廷に送り込 まれました。そして、始めは皇太子候補であった李瑁(りぼう)に与えられ、李瑁(りぼう)が皇太子候補から外れると、今度は、その父で皇帝である玄宗に乗 り換えさせられました・・・しかし、彼女のキラキラと輝(かがや)くような魅力(みりょく)と美しさ、頭の回転の速さと人を惹(ひ)き付ける話術(わじゅ つ)といった彼女の能力は、彼女のパトロン達の期待以上の成功をおさめ、貴妃(きひ)という最高権力を、彼女に与えたのです・・・・だから、最高権力を持 ちながら、楊貴妃には、そこにたどりつくまでに自分の意志は何もなく・・・執着もプレッシャーも感じてはいなかったでしょう。

 楊貴妃が、贅沢(ぜいたく)やオシャレに、とても興味があった事は間違いありません。しかし、彼女は驕慢(きょうまん)ではありませんでした。少なくと も、彼女の姉達とされる韓国夫人(かんこくふじん)・虢国夫人(かくこくふじん)・泰国夫人(しんこくふじん)のようには、贅沢(ぜいたく)に固執(こし つ)する事はなかったと思われます。
 茘枝(れいし)が好きで、南方から茘枝(れいし)を早馬で取り寄せて、人の目をそばだたせたという話は残っていますが、それ以上にひどいぜいたくをした という話は残っていません。茘枝(れいし)の話にしても、玄宗皇帝が、彼女を喜ばせるために勝手にやったのだとも言われています。

 彼女は、遊びと楽しい事が大好きでした・・・・それ以外にあまり、欲はなかったと思います・・・・そして、おせっかいで、自分の事より、自分の気に入った人物の世話を焼いて・・・・出世するのを見るのを無情(むじょう)の喜びとしていました。
 それが、安禄山(あんろくざん)を生み出し、楊国忠(ようこくちゅう)を宰相にさせ、唐の国を危機に陥(おとしい)れてしまうのですが・・・おそらく、こういった性格は、吉備由利(きびのゆり)になっても変わらなかったでしょう。

●称徳天皇を一人の女性として見ていた吉備由利

 吉備由利は、他の人達が怖れる・・・称徳(高野)天皇の威光(いこう)を怖れなかったでしょう。怖れる必要性を微塵(みじん)も感じていませんでした。 虚勢(きょせい)に隠(かく)された不安を抱える一人の女性として・・・・そこに、憎めない可愛らしさと愛(いと)おしさを感じながら、称徳(高野)天皇 を見ていたでしょう。

 称徳天皇は、誰にも負けないつもりで頑張ってきました。実際、自分に敵(かな)う存在など、誰もいなかった・・・・彼女が、怒鳴(どな)りつければ、相手は畏(おそ)れいって言う事を聞きました。
 けれど・・・この由利だけは違いました。自分がどれだけ激高(げっこう)して汚(きた)ない言葉を浴(あ)びせ掛(か)けても・・・それを平然と柳のよう に受け流し・・・・そして、素知らぬ風で、ニコニコと微笑みながら、自分の意見を言い返し、称徳天皇をたしなめたでしょう・・・・称徳天皇が、 怒り心頭(しんとう)のあまり中座(ちゅうざ)した事も何度もあったでしょう。

●吉備由利を頼った称徳天皇

 しかし、 称徳天皇は、そのたび、吉備由利と自分との間に格(かく)の違いを感じて、怒鳴って激高した自分が恥ずかしくなりました・・・・大唐帝国の皇妃(こうひ) という・・・日本の国主(こくしゅ)たる自分にさえ想像のつかないような存在であった吉備由利(きびのゆり)のキラキラと輝くような笑顔と静かな威厳(い げん)と気品が称徳天皇を圧倒(あっとう)していました。

 どれだけ遠ざけても、しばらくたつと・・・・由利だったら・・・・どう考えるだろうかと、自問自答(じもんじとう)している自分がいました。そして、自分で解決のつかない問題があると・・・どうしても、由利に訪ねたいという思いを抑(おさ)えきれませんでした。
 いつのまにか・・・・称徳天皇にとって、吉備由利は、唐の国からの貴賓(きひん)でも、亡命者(ぼうめいしゃ)でもなくなっていました・・・・由利は、称徳天皇にとって、欠かす事の出来ない貴重な相談相手であり参謀(さんぼう)になっていました。


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