龍神楊貴妃伝

美福門院得子の高野山入山

●楊貴妃として高野山に葬られた美福門院得子

 永暦(えいりゃく)元年(がんねん)(1160)、亡くなった美福門院(びふくもんいん)得子(なりこ)は、高野山に葬(ほうむ)られる事を望み、遺 骨が、腹違いの弟、備後守(びんごのかみ)時通(ときみち)によって、高野山に運ばれ、そこに葬られました。
美福門院得子
「美福門院得子の遺骨を抱え、高野山を目指す備後守時通」
紀伊の国名所図絵より


 なぜ、美福門院得子(なりこ)は、愛してくれた夫、鳥羽院(とばいん)の用意してくれた鳥羽東殿(ひがしどの)ではなく、女人禁制である高野山に葬られ る事を望んだのでしょう?そして、高野山は、なぜ、得子が高野山に葬られる事を許したのでしょうか?

 美福門院藤原得子は、保元(ほうげん)・平治(へいじ)の乱を引き起こした張本人と言われていますが、子どもの頃は、父親に可愛がられて育った夢見がち の少女であったようです。

 清少納言(せいしょうなごん)の書いた枕草紙(まくらのそうし)に、「書は文集・文選(もんぜん)」とあります。文集とは、「白氏文集(はくしぶんしゅ う)」、すなわち、白居易(はくきょい)の書いた文集の事で・・・・こういう文を読む事が、当時の文学少女達のステータスでした。

 「白氏文集」には、当然、「長恨歌(ちょうごんか)」も納められています。得子は、長恨歌を読む中で、楊貴妃にあこがれをいだいていたでしょう。
 鳥羽院に見初(みそ)められ、皇妃(こうひ)になるなかで、 得子は、自分の運命を楊貴妃と重ね合わせていたのかもしれません。そして、いつしか、自分を楊貴妃の生まれ変わりだと信じるようになったのでしょう。そし て、これが、得子の「九尾の狐」であるという伝説を生んだのではないでしょうか?

 高野山には、国宝指定の一切経(いっさいきょう)がありますが、これを経蔵(きょうぞう)と共に寄進(きしん)したのは、得子(なりこ)です。得子は高 野山をことのほか崇拝していました。 得子は、皇妃として暮らす中で、楊貴妃が高野山に葬(ほうむ)られている事を知ったのではないでしょうか?

 そして、その死にあたって、得子は、自分が楊貴妃として、高野山に葬られる事を望んだのではないでしょうか?そして、高野山の側も、得子を楊貴妃の生ま れ変わりだと認めたからこそ、楊貴妃の祀られる高野山に葬られる事を認めたのではないでしょうか?
美福門院陵
「高野山街中心部にある美福門院陵」
美福門院陵地図
美福門院陵周辺図
美福門院陵は、松波稲荷、清高稲荷と、2つの稲荷社に囲まれている。

●高野山で大日如来となった藤原忠親の母

  実は、美福門院得子の納骨(のうこつ)の2年前、保元(ほうげん)3年(1158)、得子の従姉妹(いとこ)にあたる藤原忠親(ただち か)の母が、高野山に納骨された事が「山槐記(さんかいき)」にあります。
参考「院政期高野山と空海入定伝説」 白井優子 同成社 http: //www.amazon.co.jp/院政期高野山と空海入定伝説-白井-優子/dp/4886212557/
 これは、大日如来(だいにちにょらい)の造立にあたり、藤原忠親が、その像内に亡母の遺骨を納め、高野山に奉納したもので、「空海伝説の謎」で述べるよ うに「大日如 来」=「楊貴妃」だとすれば、藤原忠親の母こそ、楊貴妃として祀られる事を望んだ最初の人物だったかもしれません。ちなみに、藤原忠親は、「渡来後の楊貴 妃」で参考 資料にした「水鏡(みずかがみ)」の作者ではないか?と言われています。「水鏡」は、楊貴妃が生きている時代の日本の歴史の事が書かれており、藤原忠親 は、楊貴妃渡来について、情報を得ていたと思われます。それにしても、大日如来の像内に母の遺骨を納めたとは・・・「骸骨本尊(弾圧された一派、真言立川 流)」の御衣木(みそぎ)の話を想 像させませんか?

●西行は、得子を蘇らせようとした?

 得子(なりこ)の遺骨は、高野山で、その時修行していた西行(さいぎょう)に届けられたとも伝えられています。
 西行には、美福門院得子を愛していたとの噂もあります。
 この伝説と、先に「骸骨本尊(弾圧された一派、真言立川流)」の中で紹介した寂しさに堪え兼ねた西行が、高野山で、反魂術を行い、人間を再生しようとし たという撰集抄(せんじゅうしゅう)のお話を組み合 わせると、また、とんでもない物語になりそうですが・・・ここは、これ以上、妄想の翼を広げるのは、やめておきましょう。

●玉藻前の名前の由来は、空海の文書「三教指帰」にある。

 美福門院得子がモデルと言われる、玉藻前(たまものまえ)ですが・・・空海の書いた初期の傑作「三教指帰(さんごうしき)」の中に、「南閻浮提(なんえ んぶだい)の陽谷(ようこく)、輪王(りんおう)所化(しょか)の下、玉藻(たまも)帰る所の島」という一節があります。
 ひょっとすると、これが、玉藻前の名前の由来ではないでしょうか?
 この「三教指帰(さんごうしき)」の玉藻の文の前は、輪王・・即ち、「転輪聖王(てんりんじょうおう)(転輪王(てんりんおう))」(世界を支配する 王)です。これは、九尾の狐の正体が、転輪聖王(てんりんじょうおう)だという事を表しているのかもしれません。(注・さらに、陽谷は、中国神話で、太陽 が昇るとされた谷・・すなわち、三足烏の昇る扶桑樹(ふそうじゅ)のある所です。陽谷をユヤと読むなら、彼女「玉藻前・楊貴妃」が熊野(ゆや)に祀られて いるという意味にもなります。)
 もし、そうだとすれば、昔の人は、洒落た名前を考えたものですね。
解明された世界を強震させる真実のミステリー

どうか貴方自身の眼で確かめてみてください!

龍神楊貴妃伝1「楊貴妃渡来は流言じゃすまない」


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龍神楊貴妃伝2「これこそまさに楊貴妃後伝」


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