熊野参詣ブームが始まった頃
の平安末期に話を戻しましょう!
●大江匡房の残した九尾の狐の記録
今度は、「野馬臺詩の謎」でも登場している・・・「江談抄・吉備入唐の間の事」を書いた大江匡房(おおえのまさふさ)の記録です。
大江匡房は、「狐媚記(こびき)」という書を書き残しています。
この文書は、漢文で書かれていて、とても読み難いのですが・・・大江匡房は、この書の中で、当時、都で勃発(ぼっぱつ)していた狐の怪異について書き残
しています。
私が、読んでびっくりしたのは、この書の最後の方です。
「嵯呼、狐媚變異、多載史籍。殷之妲己為九尾狐、任氏為人妻。到於
馬嵬、為犬被獲。惑破鄭生業、或讀古冢書、或為紫衣公、到縣許其女屍、事在倜儻、未必
信伏。今於我朝、正見其妖。雖及季葉、恠異如古。偉哉」
太文字にしましたが、ここに「九尾狐」と書かれている事です。
大江匡房は、白河法皇に仕えていた人間です。
白河法皇は、玉藻前(たまものまえ)騒ぎのあった鳥羽上皇の祖父です。
すなわち、ここに書かれている「九尾狐」は、玉藻前以前に記された「九尾の狐」の記録という事になります。
何とか、この部分だけでも、意味を知りたくて、岩波書店から出ている訳本を取り寄せてみたのですが・・・読んでもさっぱり意味がわかりません。
しかたがないので、やっぱり、自分で一生懸命に考えてみました。
嵯呼、狐媚變異、多載史籍 |
ああ、狐媚の怪異は、多数の史籍の中に載っている。 |
殷之妲己為九尾狐 |
殷の妲己は、九尾の狐となり |
任氏為人妻 |
任氏として、人妻となった。 |
到於馬嵬,為犬被獲 |
馬嵬(ばかい)において、犬によって獲(とら)えられた。 |
惑破鄭生業
|
鄭(てい)を惑わし生業を破り
|
或讀古冢書
|
或は、古塚の書を読む。
|
或為紫衣公 |
或は、紫衣公(しえこう)となって |
到縣許其女屍 |
県(地方)に到る時に、この女の屍を許した。 |
事在倜儻 |
事は、周到(しゅうとう)にあり |
未必信伏 |
未だ、必ずしも信伏(しんぶく)せず |
今於我朝 |
今、この我が朝において、 |
正見其妖 |
正にこの妖(あやかし)を見る。 |
雖及季葉 |
すえの世といえども |
恠異如古 |
怪異(かいい)、古(いにしえ)の如(ごと)し |
偉哉 |
あやしきかな |
●狐媚記の九尾の狐のモデルは楊貴妃だ!解説・・・・というより、読んでの私の感想を書いてみます。
「ああ、狐媚(こび)の怪異は、多数の史籍(しせき)の中に載っている。」
これは、そのままで、意味は、とれますね。
「殷(いん)の妲己(だっき)は、九尾の狐となり、」
これも、このまんま・・・と言いたいところですが・・・これは、すごい記述です!
大江匡房の没年(ぼつねん)は、1111年です。 ・・・・
ということは、この書は、1111年より、前に書かれた物という事になります。・・・ちなみに、冒頭に、康和三年(1101)の狐騒ぎの記述があり、この
書は、1101年〜1111年までの一〇年間のうち、どこかで書かれたという事が確定します。一般的には、妲己が九尾の狐として知られるようになったの
は、明時代(1368〜1644)の伝奇小説「封神演義(ほうしんえんぎ)」だと言われてていますが、この「狐媚記」が書かれたのは、この「封神演義」の
成立よりも前なのです。
「任氏(じんし)として、人妻となった。」
これは、もうわかりますね!「任氏伝」か「任氏行」の任氏の事です。
「馬嵬(ばかい)において、犬によって獲えられた。」
これも、「任氏伝」からですね!楊貴妃も馬嵬で亡くなったとされています。
「鄭(てい)を惑わし生業を破り、」
鄭は、「任氏伝」の主人公「鄭六(ていろく)」ですね。しかし、意味がわかりませ
ん。「任氏伝」を読んでいただいたらわかるでしょうが、鄭は、任氏と出会う事によって、初めて生き甲斐を得て、人生を頑張るのであって、任氏が、鄭を惑わ
したり、怠惰(たいだ)な生き方をさせるなんて話は、どこにもありません。どうも、誰か、他の人の事を言っている感じです。
「或は、古塚の書を読む。」
これは、どうやら、白居易(はくきょい)の書いた「古冢(こちょう)狐」のことで
すね。
「或は、紫衣公となって、」
紫衣(しえ)とは、オーム真理教事件で有名になりましたが・・・一番高貴な人が着る服の事です。ですから、紫衣公とは、皇帝でしょう。しかし、鄭六の
「任氏伝」での記述では、「総監使」止りで、皇帝の位にまで上り詰めてはいません。ここで、あきらかに、別の人間の事を書いていることがわかります。
「県(地方)に到る時に、この女の屍(し)を許した。」
ということで、これは、玄宗皇帝の逸話ですよね。・・・女は、楊貴妃の事だとわかり
ます。
「事は、周到にあり、」
周到(しゅうとう)にありってなんだろう?と考えたのですが・・・現代でも、「周到に準備をする。」なんて使いますよね。そうすると、これは、ここに、
周到に隠された秘密があるっていうニュアンスになりませんか?
「未だ、必ずしも信伏せず」
って言う事は、九尾の狐は、まだ、死んでいないっていう事ですね。
「今、この我が朝において、正にこの妖(あやかし)を見る。」
ということで・・・この狐が日本にきていて、現代の都でその姿を見る事が出来る。
後の部分の解説は、省略します。
かってな感想ですので、異論がありましたら、教えてください。 |