参考1
杜甫詩 奉同郭給事湯東靈湫作(一部)
翠旗澹偃蹇,雲車紛少留。
鮫人獻微綃,曾祝沉豪牛。
百祥奔盛明,古先莫能儔。
坡陀金蝦蟆,出見蓋有由。
至尊顧之笑,王母不肯收。
複歸虛無底,化作長黃虯。
この詩の中で、杜甫は、玄宗皇帝を道教の最高神である元始天尊に、楊貴妃を西王母に、安禄山を月に棲む金のガマガエルに見立
てている。
参考2
延烏郎と細烏女
『三国遺事』
『三国遺事』(さんごくいじ)は、13世紀末に高麗の高僧一然(1206年 - 1289年)によって書かれた私撰の史書。
朝鮮半島における現存最古の史書である『三国史記』(1145年完成)に次ぐ古文献である。
第八阿達羅王即位四年丁酉。東海濱有延烏郎細烏女。夫婦同居。一日延烏歸海採藻。忽有一巖(一云一魚)、負歸日本。國人見之曰:此非常人
也。乃立為王
(按日本帝記。前後無新羅人為王者。此乃邊邑小王。而非真王也)
第八代阿達羅王の即位四年(157年)丁酉。東海の浜辺に延烏郎(ヨンオラン)と細烏女(セオニョ)がおり、夫婦で暮らしていた。ある日、延烏が海中で
海藻を採っていると、突然、岩(魚ともいう)が出現し、(延烏郎)を乗せて日本に帰った。国人はこれを見て「これは並みの人ではない」と言い、王に擁立し
た。
(思うに、日本の帝記は、前後に新羅人で(日本の)王と為った者がいない。要するに、これは辺境の邑落の小王であり、本当の国王ではない)。
細烏怪夫不來歸尋之。見夫脱鞋、亦上其巖。巖亦負歸如前。其國人驚訝。奏獻於王。夫婦相會立為貴妃。是時新羅日月無光。
細烏は夫が帰って来ないのを不審に思い、夫を探し求めた。夫の脱いだ鞋を見つけると、彼女もまた岩に上った。岩はまた前回のように(細烏を)乗せて(日
本に)帰った。そこの国人は驚き怪訝に思った。謹んで王(延烏)に(細烏を)献上した。夫婦が再会し、(細烏は)貴妃に立てられた。この時、新羅の日月は
光を消してしまった。
日者奏云:日月之精、降在我國。今去日本。故致斯怪。王遣使求二人。延烏曰「我到此國、天使然也。今何歸乎。雖然朕之妃有所織細綃、以此祭天可矣」。仍
賜其綃。使人來奏。依其言而祭之。然後日月如舊。藏其綃於御庫為國寶。名其庫為貴妃庫、祭天所名迎日縣、又都祈野。
日が奏して言うには「日月の精は、降臨して我が国に在った。今、日本に去ったので、この不思議な現象に到った」。王は使者を派遣して二人を求めた。延烏
が「私はこの国に到ったのは、天が然るべくさせたものである。今どうして帰ることができようか。だが、朕の妃が織る薄絹が有るので、これを天に祭れば、可
なり」と言った。言葉の通り、その薄絹を賜う。使者が戻って来て奏上した。その言葉に基づいて薄絹を祭った。然る後、日月は元通りに復旧した。その薄絹を
国王の御庫に収納して国宝にした。その庫を貴妃庫と名付け、天を祭った場所を迎日県、または都祁野と名づけた。
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